ワシントン大学の多文化教育センター長のJames A. Banksによると、多文化教育の定義は、過去、さまざま意見が生まれ、さまざまの定義づけをされていると多文化教育の歴史の文献に見られるように、多文化教育の一部をとって、それが多文化教育であると言い切るには多文化教育は広範囲の要素を含んでいる。
その歴史的背景には、アメリカにおける先住民のインディアンアメリカン、あるいは、メキシカンアメリカン、また黒人社会、女性の権利など、民主主義の理想からすると、それらの問題は、今でもまだ未解決であることから、多文化教育は、マイノリティーに目を向けるという点で、グローバル教育の真反対にいるということが言われている。
安藤輝次 氏の 教育学論集(1981)の中で、グローバル教育についての記述がある。「『グローバル・アプローチ global approach』 と『グローバルな自覚global awareness』 をみつけることができる。教育用語辞典によれば,グローバル・アプローチは, 世界を種々の 問題へのアプローチにおいてひとつの相互作用する全体としてみること グローパルな自覚は, 自分自身あるいは自分の国や文化の外側の知識と理解と定義している。
そして, グローパルという形容詞は,一般には「地球規様」とか「全地球的」と訳されているようである。これらの語義から グローパル教育とは何かということは即断できないが,少なくともその意味の一端を推測することができるであろう。」
そして、そのグローバル教育は、国際教育と言われる先にあるもので、ベッカー・アンダーソンリポート(1969)では、新しい国際教育観を打ち出した。
「このリポートの意義は,国際理解の 目標を (a)惑星としての地球 (b)生物種族としての人間, (c)人間の社会組織のひとつの水準としての国際組織に絞って,その目標達成のために,現象についてよく知る能力,分析的判断の能力,規範的判断の能力,行動への動機づけの能力などを明示している点にある。
過去の国際教育には,これほど国際理解の対象と能力を明確化したものはなかった。報告書のもうひとつの意義は,初めて 『グローバルな視野 global perspectives』とか『グローバルな相互依存global interdependence』という表現を使った点である。それ以後,国際教育の研究者たちは,これらの言葉を好んで用いるようになり,それは 1974年のユネスコ勧告にも大きな影響を及ぼした。」
つまり、それぞれの国、地域の発展、技術の発展により、人間の往来が、盛んになり、経済発展により、経済の強い国が中心となって経済社会の仕組みを作り変えることによって、地球規模でお金の流通が盛んになってきたこの地球環境より、教育に対しても、それを理解する必要が出てきたわけで、国際教育への考えは、世界経済の発展に伴うものであると私は考える。
一方、多文化教育は1920年代のアメリカの中で、不平等な環境に基づき、アフリカ系の教育者、研究者たちの中から、自分たちの民族の歴史を再認識することによって、アメリカに存在する白人中心主義的な歴史観に異議を唱える者が生まれ、1970年代ごろから、多文化教育という発想が生じている。
冒頭にも述べたが、いまだに、多文化教育の定義は定めることができないほど多くある。なぜならば、それは、多文化教育は、グローバル教育とは違う発展の仕方をしている点にある。グローバル教育は、地球規模的に発展した結果、教育にもそのようなことが必要であるという自然に発想が生まれている。
多文化教育は、そういった、地球規模的発想から、外れてしまうマイノリティーや、社会弱者に目を向けられ、ある意味、マジョリティーへのアンチテーゼとも言える。その上、アメリカでの多文化教育と日本での多文化教育の生まれ方も違う。
小川修平氏によると、「日本では、多文化教育の主要な対象としてのニューカマーの子どもの『発見』によって個別研究が進展し、日本語教育や母語教育、 アイデンティティの問題や不就学などに細分化された研究が行われてきた。」となり、社会的弱者から多文化教育の発想ではなく、また、多文化共生教育の言葉の方が盛んに使われている。
私が思うに、多文化共生教育だけを推し進めていても、本質的な多文化教育を理解していなければ、『違う文化の人たちと一緒に協力して、住みましょう』を奨励することだけになり、その結果、異文化への違和感が、共感に変わることなく、違和感に目をつぶって、受け入れなければならないという強制感に繋がり、どこかで、互いの心の均衡が取れなくある可能性が想像される。逆に、異文化の亀裂が生じることもあり、早急に、多文化教育、特に、国際多文化教育を推進する必要があると日々思っている。
作家のリーケンと社会学者のポロックが提唱したサードカルチャーキッズのことは、これからの社会の中でどんどん増えていくニューカマーであることは確かである。
サードカルチャーキッズ(TCK)とは、両親の生まれた国の文化を第一文化、現在生活している国の文化を第二文化とし、この二つの文化のはざまで特定の文化に属することなく独自の生活文化、第三の文化を創造していく子どもたちのことを示している。
歴史的に見れば、アメリカに移民してきた人たちは、まさにサードカルチャーキッズであるが、すでに、アメリカという国の国民としてこの第三の文化を国家として確立しているが、今言葉として認識されているTCKは、独自の第三の文化を個人レベルで作っている子供達である。
藤元明緒監督の『僕の帰る場所』の登場する子どもたちは、実話を元にして、創作されている。日本で生まれ、日本(第二文化)で育つミャンマー人国籍の子供達が、自国であるミャンマーに違和感を持ちながらも、葛藤しながらも、国籍(親の第一文化)を受け入れようとするその過程を描いたものだ。
映画では、その後は、まだ、描かれていないが、私自身、その子達のことはよく知っている。
中学、高等学校で選んだ語学は英語で、英語(第三文化)の教育を受けることになる。つまり、彼らたちもまた、文化の狭間で生きなければならなくなり、独自の文化を持って生きることとなるのではないかと思う。
そして、私の3人の娘たちもまた、まさしくTCKたちである。
長女は、日本で生まれ、アフリカで育ち、ミャンマーで教育を受け、フランスとアメリカで修士号、アメリカで博士号を取得している。
次女は、アメリカで生まれ、日本の国籍を持ち、アフリカ育ち、ミャンマーで教育を受け、アメリカの修士号を取得した。
三女は、日本で生まれ、ミャンマーで育ち、日本の高校に留学し、アメリカの修士号を取得した。
彼女たちにとって、日本人であることには変わりはないが、アフリカや、フランスや、ミャンマーで教育を受けて、最終的にはアメリカで最終学歴を終えることとなった。自ずと、独自の第三文化を創造して、生活を営んでいる。多文化の狭間の中で育ち、そして現在もなお、生活をしていることになる。
一つの国籍で、その国の中だけで過ごしてきた人たちとは、文化が違うのは当然であろう。そして、そのTCK達の子供達への教育は、まだ、学術的に示唆されていないが、私が2003年から提唱し実践てきた多文化教育は、そのようなTCKの次世代の子供達にも必要で思われる教育であると確信する。
これから、益々、TCKは、必然的に増加すると言われている。リーケンとポロックが名付けた頃のTCKの人口と現在では、減少することなく、増加を続けている。このような、TCKの子供達は、国際多文化教育を身につけることによって、自分自身への自己肯定感や自己評価を高めることができ、例えアイデンティーの曖昧さに一時期悩んだとしても、国際多文化教育を学ぶことで、それぞれの多文化社会をつなげる役目を担うことができるはずである。
さらに、グローバル教育の反対に位置する多文化教育については、マイノリティーが対象となると考えると、発達障害、機能障害、引きこもり、登校拒否、ネグレクト、家庭内暴力など、そのような環境にある人々に対しても、対象に含まれる。
ますます、多文化教育を一言で定義できないようになってしまうが、逆に、定義づけるものではなく、その地域ごとに、また、テーマごとに、分野ごとに、多文化教育を形作ることができるので、実生活に合う教育の構築には最適であるとする。
グローバル教育が普遍的なものの結果として現れ、多文化教育は不公平な普遍性を指摘して、個々の文化の尊重として考えられるとすれば、地球的発展に伴うグローバル教育と、その中で忘れられていこうとするマイノリティーに目を向ける多文化教育は、相対するが、相互補完性であることが望ましいと私は考えている。
その点からも、国際多文化教育という言葉を提唱している。私たちが提唱する国際多文化教育というものは、まさしく、グローバル教育と、多文化教育の相互補完性を導くための双方向性の教育であると提言する。
国際多文化教育は、グローバルな視点から出発しつつ、同時に個人の内省と自己認識を通じて自己を理解し、さらに自己から出発して他者、社会、そして世界への視点を展開するマクロとマイクロの双方向の考える方向性を包括している。
これは、自己と他者、国内と国際の架け橋となり、多面的な視座と総合的な思考力を育てるための教育アプローチである。
異なる文化を同一の文化に統一させるのではなく、どんなに少数の文化であっても、それぞれの文化を尊重し、個々の違いを受け入れ合い、同時に社会の調和を保つために必要な高度な知識とスキルを養成する教育である。
但し、文化は、人種に限らず、ジェンダーや健康状態、宗教、社会階級など、さまざまな違いや多様性を包含するものである。
前述のことから、多文化教育においては、文化の定義も、国や地域にある文化だけを示すのではなく、個人の持つ個々の文化にも着眼点をおいている。個々の文化とは、個性でもあり、個人の特徴でもあり、生まれながらにあるものもあれば、後天的に現れるものもある。
その文化を個々自身が理解し、自己肯定感を持ち、周りもまた、そのそれぞれの文化を尊重し、互いにその尊厳性を尊ぶ姿勢を導くことが多文化教育の基本的な考えである。平たく言えば、自分がされてほしくないことを、自分もまた人にすることを慎むことでもあり、知らないうちに人を傷つけてしまうマイクロアグレッションに気がつくように、相手の気持ちや立場になることなど、気づきや感性を磨くことなども、多文化教育には必要な要素となる。
個人主義的な考えは、ある意味、自分は自分、他人は他人とお互いを干渉し合わないというスタンスであり、互いの文化を保持できる点では良いのかもしれない。
だが、一方、干渉し合わないというスタンスでありながらも、自分と違う異質なものに対しての違和感を、個人だけにとどめるのではなく、違和感を共有し、それを広めようとする傾向があったときは、違和感を持たれた方にかなりの迷惑をかけることになる。それに気づくかどうかで、人間関係の歪みを和らげることができる。
ただ、いちいち相手のことを考えて、自分がその時に感じた感情をそのまま表現することまで制限しなければならないことは、それはそれで、自由がないという意見もあることも事実だ。相手の立場になり、また同時に自分に正直になり、自由に表現するということも尊重しつつ、相手が傷つくようなことは極力避けるバランス感覚を得ることできることが多文化教育の成果となる。
いじめの問題、適応障害の問題、ニューロダイバーシティを理解することなど、多文化教育を遂行する上で、問題を解決していく可能性が高くなる。
実際、私が手がけた幼児教育および初等教育において、多文化教育によって、ニューロダイバージェントの子供達や生徒たちが存在する結果になったことを目の当たりにしていきた。
科学発達の地域格差に着目して、それの格差をできるだけ少なくするために、医学部を目指す卒業生、開発途上国にこそ、このような多文化教育が必要であると教育学部を目指す卒業生、多文化を公平に交流できる方法を構築したいと思い、そのようなことを研究している大学に進学を希望する卒業生、自分の作品を通じてグレーゾーンと言われる大人のADHDへの周りの人たちの理解を得られないかどうかを考える卒業生、社会的弱者や、地域格差を生み出す世界経済について疑問を持ち、世界経済から見放された国に対して、何かできないかと経済学を志望する卒業生など、まだ、多くの卒業生を輩出していないが、確実に、世界を意識しながら、多文化の当たり前を理解し、地域の問題点や世界の問題点に、果敢に挑もうとする姿は、リーダーシップの表れであると信じる。
また、私自身の子育てにおいても、3人の子どもたちは、ニューロダイバージェントたちであることを、彼らと仕事や学習をする人たちから評価されている。
仕事の効率化や、円滑にプロジェクトを進めるには、EQの高い人材を特に、国際機関では求める。EQが高く、リーダーシップを発揮している人たちは、ほぼ、ニューロダイバージェントたちであると言っても過言ではない。
そのように、国際社会や、地域社会においても、多文化教育を理解できる人たちが望まれているが、どうやってその様な人たちを育てることができるのか、多文化教育を一つの言葉で定義づけることができない由に、発展していないのが現状であると私は考える。
以上のこと踏まえて、国際多文化教育は、あらゆる背景を持つ生徒たちが平等な学習機会を享受できるよう奨励し、異なる文化や価値観、異なる部分を持つ他者との違いを共感に変え、多文化共存共生の視点を育む教育アプローチとなる。
この教育は、地球市民としての視野を持ち、ニューロダイバージェントのように多様性を尊重し、人道的かつ公平な行動ができる力を養うために必要な知識、生きる力、技術、行動姿勢を生徒に提供する。
特定非営利活動法人国際多文化教育推進協会は、社会において多様性と包摂を促進し、差別や偏見を減少させる使命を担う。
異なる文化や背景を持つ生徒たちが教育の恩恵を平等に受けられるように支援し、共感と理解を促進し、地球市民としての認識を高めるためのプログラムやリソースを提供する。
これにより、社会全体がより包括的で公平な場所となり、多文化共存共生が実現される手助けを行い、また、そのような同様な支援をする団体を推奨していく。
これは、社会全体に競合がないという意味ではなく、紛争は存在するが、国際多文化教育推進協会では、私たち全員が1つの人類に属しているという根底にある考えを持って、常にお互いに解決策を見つけることができることを保証できることで、すべての人のための教育、共感と理解を育み、地球規模の問題に対する意識を高めることは、社会全体がより包括的で公平な場所になり、多文化共生を達成し、そのような同様の支援を提供する組織を奨励するのに役立つ。
今までの実績を踏まえて、特定非営利活動法人国際多文化教育推進協会が示す国際多文化教育のアプローチは、私自身が2003年から始めた多文化教育の5つのアプローチとする。
総合的で、様々な分野における双方向性を含む統合教育
人間関係における社会情緒発展を促す教育
対立と解決を含む平和教育
多文化多言語教育
地球および宇宙上での国際多文化共存共生教育(エコシステムを含む)
そして、国際多文化教育の哲学と理念とは、9つの教育的価値観に基づき、それが手法の柱となる。詳細については、その全貌と手法について、別の機会で説明する。
前述のように2003年よりミャンマーにおいて、国際多文化教育が実践研究できる施設の開設を計画し、Yangon Early Childhood Development Centerをヤンゴンにおいて、国際多文化教育多言語教育ができる多文化教育教員養成を伴う施設として、2004年1月31日より開所した。TCKの環境を意図的に作るためには、多言語教育も備え、さらには、人間形成上、最も影響を受けるであろうSensory Timeと言われる限界期の幼児期に多文化を当たり前と理解する環境を提供することにした。
年齢は2歳半時から5歳児まで。対象はミャンマー人、日本人、さまざまな国の2重国籍人、あるいはTCKとしたが、60%はミャンマー人であった。
多言語はミャンマー語、英語、日本語を選び、それぞれの言語のイマージョンタイムを作り、園児たちが違和感を感じない設定の教材を用意して、実施調査をした。
実施調査期間は、2004年から2007年を初めてのステップとして、以下の内容についての動向調査をする。
母語以外の言葉も理解できるようになる。…母語以外の言葉で話して、理解できるかどうかを調べる。
自分の知らない文化のものに対して興味を持てる。…見知らぬ文化の食べ物や、おもちゃを提供して、今までの食べ物やおもちゃと同じように食べることができたり、そのおもちゃで遊べることができたりするかどうかを調べる。
母語が違う子供とも上手に遊べる。…母語が違う子供達と一緒に自由遊びをさせて、互いに言葉が通じなくても遊べるかどうかを調べる。
母語も発達する。…両親に、家で教えていない母語の単語を覚えてくるようになるかどうかを聞いて調査する。
自立に伴う自己肯定感が強くなる。…レストランや、公共の場においての行動を保護者の聞き取り調査で行う。
通園6ヶ月経過したところで、母語以外の言葉で語りかけて、母語で返事をするのではなく、質問された言語で返事をする子供達が、90%に達した。しかし、一方で、4−5歳児は、9ヶ月ぐらいで90%に達した。年齢が若いほど、母語以外の言葉を理解しやすかった。
通園6ヶ月後に、そのような環境を作る。普段口にすることのない食事を、普通通りに食する。新しいどこの国のおもちゃでも、すべての園児が違和感なく、遊び出す。尚、遊び方を教えることが効果的であった。
通園当初は個人差があったが、通園4ヶ月後には、すべての園児が互いにコミュニケーションをして、遊んでいた。言葉を発しているが、何語であるかは限定できない言葉もあった。
ほぼ全員の園児たちに、家で教えない新しい言葉を覚えてきた。同時に、違う国の言葉も伝えたので、保護者たちがその言葉の意味がわからずに、苦労があったようだ。
保護者の話からすると、
同年齢の子供達に比べると、レストランで落ち着いて食事ができることや、公共の場に連れて行っても、人見知りが他の幼稚園に行っている子供たちと比べると少なく、自立している。
また、洋服選びも、自分自身で選ぶことでき、また、自分でどちらかを選ぶときも円滑に選ぶことができ、その理由を聞くと明確な答えが返ってくる。
人に対しても、親切で、転んだ人に対して、大丈夫かどうか心配する傾向にある。
両親の気持ちを読み取ろうとする。
他の保育園や幼稚園に行かせている子供たちより、親たちの説明を理解しやすい。
買い物に行くとき、行く前に約束をしていると、他の幼稚園に通わせた兄弟たちに比べると駄々を捏ねることはあまりしない。
他の幼稚園に行かせた兄弟たちや近所の子供達に比べて、一人遊びができ、物を工夫して遊ぶことが上手である。
家でも、他のところでも、説明をしっかりとすると、理解度が高い。
その他の意見もあるが、保護者の意見は肯定的なものばかりであった。
以上、3年間の動向調査の結果、多文化多言語教育を受けた園児たちは、社会性、情緒性、語学力、自立心、思いやりなど、多くの点で、優秀であったことから、この教育を拡大することに決定した。
2008年2歳児から5歳児まで預かる保育幼稚園The Khayay International Schoolを開設。5ヶ国語教育をスタートさせた。ミャンマー語、英語、日本語、中国語、フランス語。それぞれの語学の教科の教員はそれぞれの言葉のNative Speakerとした。
母語を喪失する子供は一人もなく、母語をさらに発展させ、他の4カ国語のうち、2ヶ国語以上を習得する園児たちが存在し行ったことは驚きの成果であった。
また、「違って当たり前、同じでなくでもいい」という考え方を理解し、自分の思い通りにさせたい園児が入学してきても、3−4ヶ月後には、その園児も自分の想い通りにすることで友達から、一緒に遊べないことを学び、また、みんなと仲良くできることも学び、状況において、自分のやりたいこととみんなでしたいことを選んでいくようになった。
4歳児で言葉の発語が未発達な幼児を受け入れたときも、6ヶ月後には、「ママ」と発語することができるようになり、友達という意識を持ち始め、友達が悲しいときに寄り添う姿も観察されるようになった。
軽度の自閉症の子供達の人数制限をしながら受け入れることにした結果、軽度の自閉症の子どもたちも、アスペルガー症候群の子どもたちも、徐々に、集団に慣れてゆき、自分と友達という理解をし始めて行ったことは大変興味深い。さらに興味深いことは、軽い自閉症の子供達と共に過ごした園児たちが、最初はその子の行動に戸惑っていたが、1ヶ月もすると、その子に合わせた行動をとり、そのことのコミュニケーションを取ろうとして、一緒に遊ぼうとする姿であった。元々、園児たちには、このように、受け入れるという体制はあるのかもしれないが、多文化教育の方針のもと、その態度を肯定され、さらには発展させることができ、自然と社会情緒発展につながっていると言える。幼児期にできる多文化共生が、大人ではできないという現実は、今までの教育にあり、今までの教育では多文化教育を意識しないで、ただ、情緒発達だけに視点が入っていたのではないかと考える。多文化教育には、社会情緒発達は需要な要素である。そのことを多文化教育は意識することができ、それによって、教育する側が意識することによって、本能的に持っている幼児期の誰とでもコミュニケーションをして遊びたいという状態を、多文化教育によって、さらに発展させることができる一例ではないかと見る。
その当時、21カ国の国籍の子供達が在籍していたが、その子どもたちも、どの言葉でコミュニケーションをとっているのではなく、さまざまな方法でコミュニケーションの方法を子ども自身が創造し、そして、それをうまく使い、一緒に遊ぶ姿は、信じられなく平和的で、心が温まる瞬間であった。
中国語が母語の園児の母親が、通園して1年経って、家で全く中国語(母語)を話さず、ミャンマー語で、家の使用人や、外からくる電気屋などと話す姿に、苦慮しておられたが、園では、その子は英語を主に話し、中国語のお友達とは中国語で話し、日本語も覚えようとしていて、フランス語の発音もしっかりできていた。それから2ヶ月後、家でも中国語を再び話すことをするようになったが、そこで、母親が驚いたことは、今まで使ったことのない中国語の単語も使い、以前よりよく中国語を話すことができるようになっていたことであった。全ての園児にこのような現象は現れないが、母語をさらによく喋れるようになったという親からの報告は他にも多くあった。多言語教育によって、母語も発達することはかなりの可能性があると信じる。
また、国際多文化教育の教員研修として、ミャンマー人の教員たち(大人たち)を対象にしてミャンマーで行った。尚、参加する7カ国(ブラジル、イタリア、ノルウエー、オランダ、日本、ミャンマー、ニュージランド)の人たちも対象としている。ミャンマー人は特に海外経験もなく、また、外国人との接触も全くなかったので、あえて、そのような環境に置くキャンプを平和教育団体と共催した。
テーマはOvercoming Boundaries つまり、多文化教育のミクロからマクロへの過程で、自分の中にある障害や問題点、自分と相手の間にある障害や問題点、自分と社会の間にある障害や問題点をそれぞれ、どのように乗り越えていくかというテーマである。そしてさらに、マクロからミクロとして、地球規模の問題点について地域で何ができるのかも導き出す。
自分の中にある障害や問題点については、自己認識を多国籍の集団のキャンプの中で促し、違いの文化を理解しながら、自分自身の文化を再認識してもらう。自己肯定感や自己評価に繋げる。
それぞれの文化の問題点をそれぞれが発表し、それについて、議論し、解決策を共に考えることによって、自分と相手との間にある問題をどのように乗り越えるのかを学習していく。また、文化の違うもの同士が、一つのテーマで語り合い、その結果、自分と相手の中にある違いや同じ部分を理解して、それぞれの文化を理解するときに、どのように自分は行動した方がいいのかを考える。
世界で解決できていない問題点を取り上げて、議論をし、そしてその解決策を共に共同で探る。さらに、その解決策がそれぞれの国において、可能であるのかも検証する。
この多国籍のグループで、年齢が8歳から15歳までの子供達(出身民族はカレン族、カチン族、シャン族、モン族、カヤー族、ビルマ族、ラカイン族、チン族からそれぞれ選抜、社会階級において豊か、中庸、貧しい中からそれぞれ選抜、公立学校、私立学校、インターナショナル学校のそれぞれから選抜)と共に、平和教育の短期プログラムを企画、作成、実践までこなす。その反省会を開き、自己の役割や、グループでの役割などを多岐に考える。
この結果、外国人を怖いと認識していたミャンマー人教員たちが、外国人も一緒の人間であることに気づき、外国人と話すことに自信を持てるようになった。
グローバル化が進んでいるが、かなり発展した国と、発展途上の国との格差があまりにも大きすぎることに参加者全員が気づき、そのために何ができるかを話し合い、それぞれの国で取り組めることがないのかについて検討した。
また、社会的背景の違う子供たちの集団が、多国籍のグループの教員たちにより、それぞれの子供達が持つ違和感を共感に変えていくことに成功している。
以上のことから、ミャンマー人の教員たちも、自己肯定感を持ち始め、精神的な自立心が強くなった。自己評価が高くなった。
以上の過去の実績より、2003年から2023年までの20年間、多文化多言語教育を2歳児から15歳(中学3年生)まで提供し、成果を上げている。
また、教員養成については、2013年で、一旦休止しているが、教員研修として、毎年多文化研修をし、2回の国際キャンプを共催し、教員への多文化教育を提供してきた。
2003年から培ってきた国際多文化教育を、日本でNPO法人として、提供できるようにと、2022年12月NPO法人国際多文化教育推進協会を設立した。
現在のミャンマーは、2021年2月クーデターが起こってから、クーデター前に選挙で選ばれた国会議員たちが中心となって運営する政府と、クーデターによって、武力で制圧した軍事政権とで、争いが続いている。国民の精神的疲弊はひどく、精神的に折れてしまう人々が多くなっている。
ただ、経済を回さなければ、貧困がますます広がるので、なんとか、経済活動を行っているが、軍事政権に反対する国々から経済的制裁を加えられているので、非常に難しい状況である。多文化教育を実践してきた学校にも、その影響を逃れることはできない。
各家族の貧困化が激しいからである。いかなる子どもも、危機の時においてさえ、教育の欠如に直面するべきではなく、危機に直面しても維持されなければならないのは教育である。
奨学金を出して、多文化教育を享受できるように、特定非営利活動法人国際多文化推進協会は、努力をしている。現実は、まだまだ足りない状態である。しかし、ミャンマーでの多文化教育を第一に行う一方、日本や世界各地で多文化教育を推進する活動も展開していく。
以上のことを踏まえて、2022年12月から2024年3月までの事業活動予定が別のページの事業活動計画に記載されている。
以上が、国際多文化教育家として、多文化教育、国際多文化教育について、どのようなものであるかを示しています。ご賛同いただける方、また、ご意見がある方、どうぞ、連絡をしてください。国際多文化教育を2004年より実施している教育機関の教育のともしびを決して消さないようにしたいと努力しております。どうか、皆様のご支援をいただけます様、お願いいたします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。